大阪高等裁判所 平成8年(ネ)1143号 判決 1998年1月20日
控訴人
甲山こと
甲野花子(仮名)(X)
右訴訟代理人弁護士
中北龍太郎
同
永嶋靖久
被控訴人
池本克巳(Y1)
同
大阪市(Y2)
右代表者市長
磯村隆文
右被控訴人ら訴訟代理人弁護士
松浦武
同訴訟復代理人弁護士
福居和廣
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 申立
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人大阪市は、控訴人に対し、二〇〇万円及びこれに対する平成四年七月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人池本克己は、被控訴人大阪市と連帯して控訴人に対し、一〇〇万円及びこれに対する平成四年七月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 事案の概要
争いのない事実及び争点を含む事案の概要は、次のとおり訂正するほかは、原判決「事実及び理由」欄の「第二事案の概要」(原判決二枚目表五行目から同一一枚目裏八行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
1 文中、「原告」とあるを「控訴人」と、「被告」とあるを「被控訴人」と各訂正する。
2 原判決二枚目裏四行目「原告の思想及び良心の自由の権利が侵害されたとして」とあるを「控訴人の思想及び良心の自由並びに表現の自由が侵害されたとして」と訂正する。
3 同五枚目表末行目「学習指導要領には法的効力がない。」とあるを「国旗掲揚条項を定めた学習指導要領には法的効力がない。」と訂正する。
4 同五枚目裏末行目「創造的、弾力的な教育を妨げるものであるから、法的効力がない。」とあるを「創造的、弾力的な教育を妨げるものであり、また、学習指導要領が有効とされる大綱的基準の枠を逸脱するものでもあるから、法的効力がない。」と訂正する。
5 同六枚目表五行目「義務がある。」の次に「また、国旗掲揚条項は、校長が、職員会議の理解を得る努力なしには日の丸を掲揚できないと解してこそ、初めて大綱的基準の範囲内にあり有効といえる。」を付加する。
6 同六枚目裏三行目冒頭から同五行目「なっているところ」までを次のとおり訂正する。
「日の丸は、歴史的にみて、天皇に対する忠君愛国思想の象徴であり、皇国臣民育成の手段とされ、日本の軍国主義を強化し、国民を戦争にかりたてて行く精神的、心理的装置として活用されてきた。そして、今日においても、なおこのような過去が清算されることはなく、「日本人としての自覚」、「愛国心」、「学校、社会、国家などの集団への所属感」を伝達する象徴となっているところ」
7 同七枚目表四行目ないし五行目を次のとおり訂正する。
「本件文書訓告は、次のとおり措置事由がなく、また裁量権を濫用してなされた違法なものであり、更に控訴人の思想及び良心の自由並びに表現の自由を侵害し、教育合同の団結権等をも侵害するもので、この点からも違法なものである。」
8 同七枚目表六行目から同七枚目裏一行目までを次のとおり訂正する。
「(一) 控訴人が、卒業式で、「壇上の日の丸に抗議します。」と発言した後に「卒業式に日の丸はいりません。」と発言する前に、教頭が「やめなさい」と制止した事実はないから、控訴人は、職務上の命令に反してはいない。
また、控訴人の卒業式における発言は、決して大きな声ではなく、その発言により式場内がざわついたりしたことも、卒業式の進行が妨害されることもなかった。更に、プレート着用も、入学式の進行を妨害するためにしたものではなく、現に入学式の進行は何ら妨害されなかった。
したがって、控訴人の右各行為には、措置事由として評価すべき程度の違法性がなく、本件文書訓告の措置は、従来の運用に照らして不公平、恣意的なものであって、裁量権の濫用であり違法である。
(二) 控訴人のマイクでの発言及びプレート着用は、地方公共団体がなすべき事務や式典の進行を妨害するためではなく、控訴人の教員労働者としての思想及び良心の表現行為であり、このような行為に対して訓告をもって対応することは、控訴人の思想及び良心の自由並びに表現の自由を侵害するものであり、許されない。
9 同八枚目裏九行目から同九枚目表九行目までを次のとおり訂正する。
「(一) 国旗掲揚条項を定めた学習指導要領には、法的効力がある。
学習指導要領は、学校教育法三八条及び一〇六条一項並びに同施行規則五四条の二により、文部大臣が中学校の教科に関する事項を定める権限に基づき、普通教育に属する中学校における教育の内容等について基準を定めたものを告示したものであって、法的効力を有する。
また、国家が国旗をその国の象徴として大切にすることは、国際的ルールであり、前記のとおり、国旗掲揚条項で、卒業式等の式典に際し国旗を掲揚することを求めるに至っているのは、右のような趣旨に基づくものであって、国旗掲揚条項は、中学校教育における機会均等及び全国的な維持を図るために設けられた大綱的基準であり、また、教師の教育活動の弾力性、自由な創意工夫の余地を抑圧するものでもない。
(二) 国旗を掲揚することは、校長の権限に属する職務である。
校長は、学校教育法四〇条、二八条三項に基づき、校務をつかさどり、所属職員を監督するものとされており、職員会議は、校長の職務遂行上の補助機関にすぎず、その決議には何ら法的効力はないのであるから、校長は職員会議の決定に拘束されない。
もっとも、被控訴人池本は、職員会議において、長期間、何度も説得を行っており、最終的に国旗掲揚に反対するものは、控訴人一人だけにとどまるとの状況のもとに、日の丸掲揚を実施するに至ったものであり、事実、反対行動をとったものは控訴人一人だけであった。」
10 同一〇枚目裏四行目末尾の次に改行の上次のとおり付加する。
「本件文書訓告は、右の職務命令及び職務専念義務に違反する行為に対して課されたものであり、控訴人の思想及び良心の自由等を侵害するものではない。」
11 同一一枚目裏六行目ないし八行目を次のとおり訂正する。
「2 本件文書訓告の違法性の有無
(一) 措置事由の有無
(二) 本件文書訓告が、控訴人の思想及び良心の自由並びに表現の自由を侵害するか。また、教育合同の団結権等を侵害するか。」
第三 証拠関係〔略〕
第四 当裁判所の判断
一 当裁判所も、控訴人の被控訴人らに対する本件各損害賠償請求は、いずれも理由がないので、これを棄却すべきものと判断する。
その理由は、次のとおり訂正するほかは、原判決の事実及び理由欄の「第三争点に対する判断」(原判決一一枚目裏一〇行目から同二八枚目表五行目)記載のとおりであるから、これを引用する。
1 文中「原告」とあるを「控訴人」と、「被告」とあるを「被控訴人」と各訂正する。
2 原判決一一枚目裏一一行目から同一八枚目裏一〇行目までを次のとおり訂正する。
「1 国旗掲揚条項の法的効力の有無
(一) 学習指導要領の法的効力の有無
憲法の精神である、民主的で文化的な国家の建設、個人の尊厳の実現を目的として制定された教育基本法は、一〇条において、教育行政の目標を、教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き、教育行政機関がそのための措置を講ずるにあたっては、教育の自主性尊重の見地から、不当な支配となることのないように配慮すべき義務を課しており、したがって、教育行政機関がその整備確立のための措置を講ずるにあたっては、不当な介入は厳に排除されるべきものではあるが、許容される目的のために、必要かつ合理的な範囲であるならば、たとえ教育内容及び方法に関するものであっても、これを決定することは、必ずしも同条の禁止するところではないと解される。
本件学習指導要領は、右教育目的の遂行に必要な諸条件の整備の一環として、文部大臣が、中学校の教科に関する事項を定める権限に基づいて、普通教育に属する中学校における教育の内容等について基準を定めたものを告示したものであって(学校教育法三八条、一〇六条一項、同施行規則五四条の二)、法的効力を有するといえる。
もっとも、右基準は、教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という限られた目的のために、必要かつ合理的と認められる大綱的基準にとどめられるべきものであり、学習指導要領の個別の条項が、右大綱的基準を逸脱し、また、内容的にも、教師に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制するようなものであるならば、それは教育基本法一〇条一項の不当な支配に該当するものとして、法的効力が否定される場合もありうるものと解される。
(二) 国旗掲揚条項の法的効力
(1) 国旗掲揚条項は、教育の内容、方法について規定するものであるところ、乙六(平成元年七月文部省作成「中学校指導書特別活動編」と題する書面)によると、その趣旨は、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、生徒が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくためには、生徒に国旗に対して正しい認識を持たせ、これを尊重していく態度を育てることが重要であること、入学式、卒業式は、学校生活に有意義な変化や折り目をつけ、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活への動機付けを行い、学校、社会、国家などの集団への所属感を深める上でよい機会となることから、このような意義を踏まえた上で、これらの式典において、国旗を掲揚するように指導するものとしたことが認められる。
国旗掲揚条項の右趣旨は、憲法の精神を受けた教育基本法一条にいう教育の目的に反するものとは言い難く、その性質上、全国的になされることが望ましいものであるから、これを学習指導要領の一条項として規定することは、教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために、必要なものということができる。
(2) もっとも、日の丸を国旗と認めることについては、国内においてなお激しい意見の対立があり、国旗掲揚条項は、本来政治的、思想的対立からは中立であるべき教育の場に、対立を持ち込む結果となり、教育政策上果たして適当な措置であるかにつき疑問なしとはしない。
しかし、国旗掲揚条項は、前記の趣旨に基づき、一般的普遍的な基準を示すものであり、それ以上にどのような教育をするかについてまで定めたものではなく、入学式、卒業式を除き国旗掲揚を行う式典の選択、国旗の掲揚を式典の設置、進行等の中でどのように行うかは、各学校の判断に委ねられており、決して一義的な内容というものではない。
また、国旗掲揚条項には、国旗の意義を踏まえとあるが、その内容は前記のとおりであり、学習指導要領の前記の趣旨からしても、国旗についての一方的な一定の理論を生徒に教え込むことを強制するものと解することはできず、日の丸を巡る客観的な歴史的事実等を含め、教師による国旗についての創造的、かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地は十分に残されていると認められる。
以上の点から考えると、【要旨一】国旗掲揚条項は、前記大綱的基準を逸脱するものとはいえず、教育基本法一〇条に抵触せず、法的効力を有すると解される。
2 校長の権限と職員会議の決定の効力等について
(一) 校長の権限
学校教育法四〇条、二八条三項は、中学校における校務は校長がつかさどるものとしており、右にいう校務とは、学校の運営に必要な校舎等の物的施設、教員等の人的要素及び教育の実施の各事項につき、その任務を完遂するために要求される諸般の事務を指すものと解されるところ、学校教育法施行規則五四条の二及びこれを受けて制定された学習指導要領によって、校務には、学習指導要領に基づく教育過程の計画及び実施をなす責務と権限も含まれるものと解される。
したがって、【要旨二】国旗掲揚の事務の遂行は、学習指導要領の国旗掲揚条項により、校長の権限に属する職務であるといえる。
(二) 職員会議の決定の効力との関係
教師は、教育の専門家として教育活動に従事するものであり、教育というものの本質上、その自主的な創意工夫が必要不可欠なものとして求められ、そのためには、何よりも教師の自主性、主体性が尊重されねばならない。そして、このような教育のあり方を考えると、校務運営、ことに教育内容を規定する事項を決定するにあたっては、教職員全体による十分な意見交換、討議が必要不可欠であり、各学校において職員会議が制度として設けられ、校務運営にかかわってきているのもこの趣旨に基づくものである。
しかし、職員会議は、法令上の根拠がなく、校務運営について最終決定をする権限は有していないのであるから、校長がその職務を行うにあたっては、職員会議の意見を十分に聴取し、これを尊重すべきことが要請されているとはいえ、【要旨二】その決議が、校長の職務遂行を法的に拘束するとまでは解せない。
本件では、被控訴人池本の日の丸掲揚の方針につき、職員会議は反対の立場をとっていたと認められるが、上記のとおり、職員会議の同意が得られなかったからといって、それにより、校長である被控訴人池本の国旗を掲揚する権限が影響を受けるということはできないものというべきである。
3 日の丸は、国旗掲揚条項に規定される「国旗」であるか。
(一) 現在でも効力のある郵船商船規則(明治三年太政官布告第五七号)によれば、日の丸をもって日本船舶に掲げられる国旗とされており、また商標法四条(昭和三四年成立)や海上保安庁法四条(昭和二三年成立)は国旗について規定しているが、これらは日の丸が国旗であることを前提にしているものと解される。
このように日の丸は、国際関係においては、他国と識別するため国旗として用いるべきことが定められているといえるが、国内関係においては、国民統合の象徴として用いる場合、いかなる旗をもって国旗とすべきかを一般的に規定した法規は存在しない。
しかし、右各法令の規定や、明治以降現在に至るまで、国旗として日の丸が用いられ、諸外国からも、日の丸が国旗として承認され、また世論調査の結果からも国民の大多数は日の丸を国旗として認容しているものと認められ(〔証拠略〕)、我が国において日の丸以外に国旗として扱われているものはないことも公知の事実である。
以上によれば、これを慣習法と評価すべきか否かについては、なお検討を要するとしても、少なくとも、【要旨三】国旗掲揚条項にいう国旗とは、日の丸を指すことは明らかというべきである。
(二) 控訴人は、国旗掲揚条項にいう国旗とは、日の丸と解すべきではないと主張するが、その理由は、日の丸が天皇に対する忠君愛国思想を象徴するものであり、憲法の理念と相容れないという点にあるものと理解される。
明治以降、第二次世界大戦の終了というそう遠くない時点まで、憲法の平和主義、国民主権の観点からみて、是認し得ない非合理的な皇国思想や、軍国主義思想の精神的、心理前旗印として日の丸が利用されてきた時代のあることは、否定し難い歴史的事実であり、このような経緯を背景に、現時点では少数とはいえ、日の丸を国旗として扱うことに対し根強い反対意見があることもまた公知の事実といえる。
しかし、国旗は国民統合の象徴の役割を担うとはいえ、国旗の有する意義も時代と共に変遷し、国民の国旗をめぐる考え方も不変ではなく、国旗に対する意義付けや国民の考え方も、国旗を取り巻く政治的環境や文化的環境、国民の認識の変化にともない変化するのは当然であり、かつての国旗に対する意義付けや国民の考え方が、現在にも引き継がれるというものではない。
〔証拠略〕を総合すれば、現在、日の丸を国旗として認容する国民の多数の意識は、もとより過去の偏狭な皇国主義、国家主義に基づくものではなく、憲法の掲げる平和主義、国民主権の理念に基づき、日の丸に、その象徴としての役割を期待しているところにあるものと理解される。
したがって、日の丸に対し、過去に憲法の精神からみて是認しがたい意義付けがなされてきたからといって、国旗掲揚条項にいう国旗について、これを日の丸と解することの妨げとはならないものというべきである。
4 卒業式等における国旗掲揚が、控訴人の思想、良心の自由を侵害するか。
卒業式等の式典の場に日の丸が掲揚されたからといって、その式典そのものが、日の丸に対する一定の観念ないし思想に賛同の意を表するために開催されることにはならないし、出席者が、そのような観念なり思想に賛同の意を表することになるものでもない。
したがって、国家や地方公共団体が、教師に対し、その職務行為の一環として、日の丸の掲揚された式典の場に出席し、その式典の事務運営をする義務を課したとしても、国旗に対し敬礼させるなど、国旗に対する一定の観念を告白させるに等しい行為を強割する場合は格別として、そのことだけで、ただちに当該教師の思想及び良心の自由を侵害する強制行為があったとすることはできないものというべきである。
もっとも、前記のとおり日の丸については、なお国民の間に激しい意見の対立があるのは事実であり、これらの対立は、個人の思想、信条にかかわる問題であるだけに、日の丸に対する敬意の強調が、思想及び良心の自由を侵害する強制とならぬよう、慎重な配慮が望まれるところである。
5 以上によれば、【要旨四】被控訴人池本の卒業式等における日の丸掲揚を違法なものとすることはできない。」
3 同一九枚目裏末行目「同月一五日、」の次に「被控訴人池本の日の丸掲揚を問題として」を付加する。
4 同二〇枚目表六行目「原告は、」から同七行目「反対した。」までを次のとおり訂正する。
「この間、職員会議では、日の丸掲揚に協力を求める被控訴人池本と、これに反対する教職員との間で話し合いが繰り返されてきたが、いずれの式典の際にも教職員からの抗議等はなされず、式は予定通り行われた。」
5 同二〇枚目表九行目から一一行目までを次のとおり訂正する。
「(三) 平成四年一月二四日、同年度の卒業式の実施案について職員会議が行われ、日の丸掲揚のない原案が承認された。
同年二月一三日の職員会議において、被控訴人池本は、国旗の掲揚については入学式と同じ方法で実施したい旨発言し、これに対し控訴人ほか二名が反対意見を述べたが、それ以上の反対意見もなく、明確な結論を出さないまま、議長は卒業式についての審議を打ち切った。」
6 同二〇枚目裏一〇行目「いくよう。」にと指示した。」とあるを「いくように。」と指示した。」と訂正する。
7 同二一枚目裏六行目から同二二枚目表六行目までを次のとおり訂正する。
「これに対し控訴人(原審及び当審)は、教頭は、控訴人の抗議の発言の終了後に控訴人を制止したものであり、式場内がざわついたりしたことはなかった旨供述し、甲六八にもこれに沿う供述記載部分がある。
しかし、控訴人は、日の丸掲揚に抗議するために右のような発言を行ったのであるから、被控訴人池本や卒業式の出席者等が十分に聞き取ることができるように、ある程度、ゆっくり、大きな声で発言したと思われるし、しかも、マイクを通じての発言であるから、当然その声はある程度大きくなるものと考えられる。一方、教頭は、式典の進行を管理しており、また、控訴人の上司でもある以上、控訴人の抗議の発言が終わるのを待って発言を制止したというのは不自然である上に、控訴人が日の丸の掲揚に抗議する発言を行うことを予期しない生徒や父兄らが、式典の進行とは全く関係のない控訴人の発言を聞き、驚いて周囲の者と小声で話し合ったりすることは、十分にあり得ることであるから、控訴人の右供述及び甲六の供述記載部分は、ただちに措信できないものというべきである。」
8 同二四枚目表一行目から同二六枚目表八行目までを次のとおり訂正する。
「3 前記のように、鯰江中学校の校長である被控訴人池本には、同校の入学式、卒業式の式典において、日の丸を掲揚する権限があり、右権限に基づいて日の丸を掲揚した式典の事務を行うのは、被控訴人池本の適法な公務の執行である。
地方公共団体の職員である学校職員は、法令等に従い、かつ、上司である校長や教頭の命令に忠実に従う義務があるから(地方公務員法三二条)、学校職員は、右各式典において、校長から命じられた事務を遂行し、式典を円滑に遂行するように努力し、その進行を妨害してはならない職務上の義務を負担する。
また、学校職員は、法律等に特別の規定がある場合を除くほか、その勤務時間及び職務上の注意力の全部をその職務遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責任を有する職務にのみ従事する義務を負う(地方公務員法三五条)。したがって、入学式や卒業式の職務遂行中に、正当な理由なくマイクで式典の進行を妨げる発言や、一定の要求等を掲げるプレートを着用し、校長を含めた教職員ら、生徒、保護者らに対し、自己の信じる主義、思想等を発表することは、職務命令に違反し、かつ職務専念義務に反するものであり、許されない。
【要旨五】本件については、前記認定のとおり、被控訴人池本が適法な権限に基づき卒業式の式典において日の丸を掲揚したところ、控訴人は、右式典中に、「壇上の日の丸に抗議します。」等とマイクで発言し、更に教頭の制止にもかかわらず、「卒業式に日の丸はいりません」と発言し、式典の進行を妨害したものであり、これらの行為は、上司である校長及び教頭の命令に従う義務に違反し、職務専念義務にも違反する。
また、控訴人は、入学式の式典の際、職員席で「入学式に「日の丸」はいりません」と書いたプレートを着用し、式典の進行を妨害する行為をしたものであり、同様に職務専念義務に違反する。
したがって、本件文書訓告には、措置事由があるというべきである。
なお、控訴人は、控訴人は日の丸掲揚に反対するという主義または思想を有しているところ、本件文書訓告により、思想及び良心の自由を侵害されたと主張する。
しかし、本件文書戒告は、控訴人のマイクでの発言及びプレート着用という、卒業式、入学式を妨害する行為に対し課されたものであり、思想及び良心の自由も、適法に課された職務上の義務に違反する行為をする自由までも保障するものではない。
また、控訴人は、卒業式等において、反対意見を表明することは、表現の自由として許されるかのように主張するが、表現の自由も内在的制約に服すものであり、控訴人の右言動は、被控訴人池本らの適法な職務を妨害するのみならず、生徒らの平穏に卒業式等を受ける利益を侵害するものであって、表現の自由として保障されるものではない。」
二 結論
以上の次第で、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないので、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法六七条、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中田耕三 裁判官 高橋文仲 中村也寸志)